19WKCは、本年7月4日~7日、イタリアのミラノ市で開催されました。
4日の女子個人戦は、佐藤みのり・近藤美洸・末永真理・妹尾舞香の4名が出場し、優勝(近藤)、2位(末永)、3位(佐藤・妹尾)という成績でした。
会場アナウンスのたび重なる「JAPAN」「JAPAN」呼び声に〝しらけてしまうのでは…〟の懸念をよそに、準決勝・決勝戦は大いに盛り上がり、日日対決が繰り出す打突の応酬、攻防に惜しみない拍手が起こりました。
特筆すべきは、決勝の近藤(旧姓:阿部)-末永(旧姓:山本)、日本女子チームただ二人の既婚者です。この決勝対戦は、剣道界に〝新たな瑞兆〟をもたらすもの、と愚考したしだいです。
5日の男女団体戦の予選リーグは、男女とも完勝で予選リーグと突破しました。
6日、男子個人戦も引き続き上位三賞を手中にしました。
優勝:星子啓太、2位:松崎賢士郎、3位:木村恵都・大平翔士
観客は、誰ひとり席を立とうとせず「JAPAN対JAPAN」を見守っての準決勝・決勝戦でした。
ときには剣道では不可とされる〝声援〟も飛び交い、それを揶揄するのが憚られる雰囲気に呑まれるありさまでした。
7日の男女団体決勝トーナメント、これも男女ともに優勝を果たしました。
すべての選手は初戦から、いかなる相手とも「心気力」抜かりなく戦った結果であります。
おかげさまで日本チームは男女・個人・団体、完全制覇を成し遂げました。
今回、観客席にてWKC全体を俯瞰して思ったことは、各会場、国・地域どうしの戦いは当然ありながらも、「剣道」というカテゴリーにおいては、根底に、国境や人種を超えた、剣の交わりの深さを強く感じました。
「戦い」はあっても「いがみ合い」のない世界、これこそ剣道が今後、〝世界の文化〟として遍く拡がっていく〝道しるべ〟ではないかと凡慮したしだいです。
WKCについて
戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下、数年の剣道空白期を置いて1952年(昭和27年)4月、日本の主権が回復し、同年10月に「全日本剣道連盟」が設立されます。
設立に際しては、〝武道色を抜いた競技一辺倒のスポーツ〟として出発しました。
一方、スポーツ化への努力の甲斐あって、1955年(昭和30年)には「国民体育大会」の種目となります。
一人前のスポーツと認められたわけです。
1964年(昭和39年)には「東京オリンピック」が開催され、柔道は正式種目となります。柔道の競技会場として「日本武道館」が設立されました。
剣道は、日本古来のスポーツということで公開競技として参加します。
約2時間半にわたって剣道(日本剣道形、試合、居合道、杖道、古流)を紹介しました。
それに呼応するように「国際化」を目指します。1964東京オリンピックの6年後の1970年(昭和45年)4月、「国際剣道連盟」が発足し、同時に日本で第1回世界剣道選手権大会(1WKC)が開催されます。
1WKCは、日本武道館に皇太子殿下ご夫妻(現、上皇上皇后両陛下)のご臨席を仰ぎ、世界から17カ国・地域の選手が参加して開催されました。
[1WKCを観戦される皇太子殿下ご夫妻]
「全日本剣道連盟」HP→「第1回世界剣道選手権大会 記録映像」(全剣連公式YouTubeチャンネル)
歴史認識をただす
「ただす」には、「正す」「糾す」「糺す」「質す」などの漢字が宛てられます。
「正す」(誤りをただす、きちんと整える)、「糾す」「糺す」(罪や真偽、事実などを問い調べる)、「質す」(たずねて明らかにする)と、意味合いがそれぞれ少し違います。
わたしは歴史の専門家ではありませんし、読者の中にはわたしより歴史に詳しい方が多数おられるでしょうから、「正す」を使うのは少々おこがましいと思い、いろんな意味に取れる平仮名で「ただす」としました。
剣道は「歴史と伝統を誇る」と言われていますが、本当に誇りを持つには、わが国の来歴について正しい歴史認識を持つ必要があります。
わが国で現代のような竹刀防具打込稽古が始まったのは江戸時代中期と言われています。
江戸時代と言えば、わたしたちは子どものころから、何となく民衆、特に農民の生活は暗く貧しく悲惨なイメージが頭の中に植え付けられてきているのではないでしょうか。
今も、無慈悲な代官、重い年貢、飢饉、間引き、口減らし、など重苦しく暗い映像が浮かび上がってきませんか。
[『逝きし世の面影』]

ところがその当時、日本を訪れた外国人は口をそろえて、日本は地上の楽園、満足、幸福に満ちていると述べています。
幕末から明治初期にかけて、おびただしい数の外国人が日本を訪れています。そしてその人たちのほとんどが日本の自然、風景、人びと、また習慣をも含めた暮らし向き全般について賞賛しています。
そのことについては以前も紹介したと思いますが、渡辺京二著『逝きし世の面影』(平凡社)に、来日した外国人の手記を数多く詳しく掲載しています。ぜひご覧ください。
渡辺氏は、2022年(令和4年)12月、90歳で亡くなられました。
どうも我々日本人は概して過去の歴史を否定して今日まできているように思います。
とくに戦前においては、〝軍部が台頭し軍国主義となり戦争に突入した〟とステレオタイプに刷り込まれてしまっています。
確かにそうでしょうが、世界恐慌などが起こり経済的に他国との利害対立があって、国家運営がギクシャクする中、軍部が政治を非難し、その軍部を国民が称揚して、マスコミがそれを煽った、ことも大きな原因でありました。
「五・一五事件」や「二・二六事件」などのクーデターが起こっても国民やマスコミは犯人側に同情を寄せ、政府の弱腰をなじり政治による歯止めが利かなくなっていました。
それに〝南京大虐殺〟とか〝従軍慰安婦強制連行〟などという、わが国を貶める流言飛語にさらされながら、「歴史と伝統を誇る日本古来の伝統文化、剣道」と胸を張って言えるでしょうか。
今後この剣談の場をお借りして、一つ一つ繙いていきたいと思います。
つづく